良い行いは(善行)は人に知られたら価値が無くなる

昨日職場内でちょっとしたもめ事があり、

ある一人の社員と個別に対話。

 

主張をまとめると、

人に言われなくても、今やらなければならない気づいたことはやってきた。なのに、

ただアピール上手な人が評価されてるのではと感じる。

 

 

私はこれを聞いたとき、

がっかりしてしまったのだ。

 

 

それはなにより周囲も、

私もこの社員を評価しており

昨年より「すでに業績加点」してしてあったのに。

 

 

 

これだとまさに社員が言う「アピールしたもの勝ち」

 

 

 

確かにそういった側面はある。

本田宗一郎氏の言葉に

「脳ある鷹は爪を隠さず」

と、社員にもっと自己を前に出すよう促している。

 

 

言葉にしなければ伝わらない。

 

 

ただ、

 

承認要求、自己顕示欲、いわゆる「見返り」が少しでもあると「~のに」と、良い行いがただの愚痴に成り下がってしまう。

 

感謝だけでなく、俸給の見返りは誰でもほしいところ。

 

特に仕事は 感謝するなら金をくれ の側面は当然のこと。

 

 

でも、言わない。見返りを求めずにする行いは、真心に満ちあふれ、自然と伝染し、自身も清々しい気持ちになるし、語らなくてもわかる人には分かる。

 

 

 

そして実は、

お金以上のご褒美をいただけたりする。

 

 

 

私は母に

「良いことは人に見られないようにやれ」

と、しかも継続。と教えられた。

 

当時は善行と思っていたことも

もう当たり前となってしまった。

 

誰から認められなくても淡々と続けていく

自分自身を裏切らないために。